2009年 12月 01日
ボンジュールさま
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# by budouhaha | 2009-12-01 01:31
2008年 09月 25日
お彼岸
お盆以来の墓参。。
8月1日の初盆法要を済ませ、15日のお盆お墓参りは照りつける暑さで
ゆっくり母と語らえなかったが、午後から墓参に出かけた一昨日は、曇りで絶好の墓参日和。

母のお墓は、竜田口のお寺の本堂の裏手の山の中腹、見晴らしの良いところ。
段々に、お墓の列が並び、母の世代の方々が葬られていて、寂しくないことだろう。。

お墓に着いたら、雑草がポツポツと生えていたので、お花をバケツの水につけて水揚げする間に草取りをしながら、
一年前の母の葬儀を思い出していた。

お墓を洗い、お花を供えてお線香を焚き、お参り。
ゆっくり、母と語り合った。 
<(母の)両親や亡き子供達に会えて良かったですね>
<魂になったら、目は見えるようになった? >
<入院中は、きつかったですね・・・      >
<隣近所のお仲間と仲良くやってますか?  >
<その内に、私も仲間に入るからね~!   >
<では、行って来ま~す。(また来ます)。。 >

 お早う、お帰り~!!

 生前、母は毎日私が仕事へ出かける時、行ってきま~す!!と言うと必ず返事をしてくれた。
 入院してからも、見舞いに行って帰ると言えずに、「では、仕事に行って来ますね」というと
 か細い高い声で、「お早う、お帰り~。。」
 やり取りを聞いていた介護師さんが、ニッコリされていた。

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# by budouhaha | 2008-09-25 17:42
2008年 07月 02日
動画
b0029624_1801769.gif梅雨の晴れ間。。
母は、話し好きで、子供の頃から聞かされていました。
ことに、仏教の話しなどは、お坊さんのお説教なみで、極めつけは広島原爆の体験談でした。
ビデオに録画すれば、後世に遺すことができたと悔いが残ります。

 この頃まで、かすかに光りが見えていました。          (画像、拡大します。)b0029624_18195573.jpgb0029624_18262058.jpgb0029624_18312712.jpg







4年前、1分くらいのデジカメの動画撮影をテストに撮ってみました。
             
             母(動画)

# by budouhaha | 2008-07-02 18:21 | 想いで。。
2008年 06月 12日
旅立ち・・
前回の更新(去年7月4日)のひと月後に母は、ローソクの灯が燃え尽きて
ひっそりと消えるように・・・私と孫娘が駆けつけるのを待って旅立ちました。

危篤状態から少し持ち直していたその日は、娘の仕事は休みで朝抜きの昼食を
済ませると寝不足の二人とも睡魔が襲い、母の病院へ行かなければと思いつつ
眠ってしまった。
ぐっすりと眠りから覚めかかった頃に電話が鳴った。

咄嗟に受話器を握ると、婦長さんから緊迫した声で「大至急病院へ来てください!!」
娘を呼び起こして先に行く。その間の運転していた状況は今も思い出せない。
ナース室の前の母の病室へ駆け込むと、心電図のモニターが置かれ、先生と数人の
看護士さんが母のベッドを囲んでおられた。

婦長さんが、「早く手を握ってあげて下さい。待っておられましたよ。」
手を握り、母に呼びかけた瞬間、心電図の波がピーーと止まった。
<おばあちゃん!!今、れいなが来るからっ!!>と手を強く握ると、心電図の波が
ピッ!ピッ!と動き出した。何秒?何十秒・・経ったのだろう・・娘に早く早くと心で叫びながら
母に呼びかける。
その時、娘が駆けつけた。

『おばあちゃんっ!!』と、娘が手を握って呼びかけたと同時に、心電図の波がピーと止まった。
先生が母の脈を取って臨終を告げられた。
『午前中にお母さんとお話してたのですよ』と言われた。
声も出ずに目も開けれず薄れ行く意識の中で、母は、待っていてくれました。
それに、これからの葬儀にともない、睡眠も取らせてくれた母のおかげで
友引で仮通夜、本通夜、本葬儀と3日間を辛くなく過ごせたのです。

この頃、何度か容態が悪い時があるなか、小康状態で点滴も外されていた亡くなる10日前。
午前9時過ぎ、電話が鳴った。 (この頃は、電話が鳴ると母の事かとドキッとしていた。)
やはり母の危篤の知らせに、駆けつけると先生と看護士さんが血圧が下がり脈拍も酸素も
低いので時間の問題で危篤です。と言われた。
母の顔色も青白い。 呼びかけにはかすかに反応する。

動転しながら考えた。この2~3日、点滴していないし、今も点滴されてない。
という事は、食事もろくに取ってないし今は朝。
水分も摂取していない・・・という事は、≪喉が渇いているはず!!≫
≪渇きのまま死なせたくない≫ 
おばあちゃん!!喉が渇いてない? お水飲みたい?と耳元で声をかけると
かすかに手を動かして、頷いた。

看護士さんに、冷茶を飲ませていいですかと?と聞いたらダメだと言う。
誤嚥して肺に入り窒息するとの事。
では、綿棒で口の中を湿らせるのはいいですか?
「それだったらいいです」と許可が出た。
自販機から冷茶と大きな綿棒を貰って、吸飲みに冷茶を入れて綿棒を湿らせて口に入れたら、
ジューと吸う。。むせながらも吸おうとする。まだ力が残っている。
意識はあるしゃべれないだけだ・・・

背中をさすり、数回綿棒を替えながら冷茶に浸し飲ませる。
次第に吸う力も出てきた。
看護士さんがいなくなった隙に、母の身体を少し抱き起こして吸い飲みごと
一滴、一滴飲ませる。
途中、何度か咽たけれど、背中を軽く叩きさすって、咳をさせる。
結局、100cc くらい飲んで一息ついた。

その間、手足は冷たくなっている。エアコンも入っていて危篤で脈も50以下で
血圧低下で血液の循環が悪いせいだろう。
手足を心臓に向かって、さすり上げる。
急ぎ、洗面所に走って熱々の蒸しタオルを4本持ってくる。
母の腕手と足を包んで温シップしてバスタオルで巻いた。
2~3回、取り替えたら青白かった顔色に血色が戻ってきて仄かに赤みがさして
声も発せられるまでになった。
この間、娘も職場から駆けつける。

そこへ看護士さんが来て、脈拍を測ってビックリされる。
「80幾つに戻りましたね!!」
先生が来られて、不思議な顔をされて、「持ち直したね!?・・」
では、点滴をしましょうと指示された。

内心、「良かったっー!!」と、呟きながら、売店へ走りウィダーインゼリーと
カップゼリーを買って母に食べさせた。
「美味しい?」(こっくりと頷く・・)数口食べてくれた。

その日は、日米井戸端会議(日系の方々のメーリング)の鶴亀さんが、本を上梓されて
来日され来熊されて熊日に行かれて、夜は有志で歓迎会の予定。
懸念されたとおり、母の危篤と重なった。
昼には、母も小康状態になり、ひとまず帰宅して着替えて熊日に行く。
取材を同席して、一旦母の元へ行き、夕方歓迎会場へ!!

2次会は、数名の方々が、葡萄屋へお出で下さった。
営業が終わり、深夜帰宅したとたんにへたり込んだ。
  慌しい一日だった。

それから10日後に、点滴と流動食で母は旅立ちました。
喉が渇いたまま死なせたくないと願いが届いたこの10日間は、
私にとって思い残すことなく見送りが出来ました。

病院は、10日前の危篤でそのまま自然死の予定だったように感じた。
ビックリしたのは、担当の高齢のドクターが患者の枕元で、容態説明をされた事・・・
『 血圧も下がり、危篤です。 もう時間の問題です。』
表情が無く薄れ行く意識の中でも、はっきりと聞こえていたと思う。

もう、声も出せない中、不用意な医師、看護士の発言を聞きながら亡くなる患者さんは多いのでは・・

 とは言っても、大変行き届いた病院であり施設でした。
 2年間、大変お世話になりました。
 入院時、院長先生から治療方針を確認された時、無理な延命治療は望みません。
 院長先生も、僕も賛成です。と言われました。
 生存年令はあとどれくらいですか?と尋ねたら「2年くらいでしょう」と・・・
  
  母は、別れの準備期間を与えてくれて、見送る時も今際の際まで待っていてくれました。  

# by budouhaha | 2008-06-12 04:10 | 想いで。。
2007年 07月 04日
『 しょうがない 』  久間防衛相「原爆」発言
原爆投下は、『しょうがない』と発言した、久間防衛相は、参院選の影響を懸念して引責辞任した。
発言のあとに、メーリングで、下記の投稿があった。

>日本の国の形を決めるという憲法論議、時あたかも、防衛大臣の発言に国民が怒っております。

母は、国民の一人で、原爆の被災者で兄弟も原爆の爆風で亡くし、長年原爆症に苦しんできたけれど、母のひとり言は、
『 しょうがなかったね。(原爆投下)・・・憎いのは軍部だよ!東条英機だよ!
天皇陛下は、戦争終結を望んでいたのに、軍部は国民を道ずれにしようとして一億総玉砕
なんぞで原爆が投下されなければ終結できずに国民全てが死んで国が滅んだかもしれなかった・・・』が口癖だった。

母の原爆投下への怒りは、アメリカではなく「日本軍部」だった


日本を代表する「防衛相」が、軽々しい発言は許されないけれど、個人的意見だとすれば
ある意味もっともなのかもしれない・・

# by budouhaha | 2007-07-04 14:29
2007年 06月 09日
薄皮を剥ぐような残りの命に。。
母の介護施設は、病院と併設されている。
母は今、病棟に移っている。
同じビル内で、2階が介護施設で、病気治療になると3階から上の階の病棟に移る。
移るときは、ベッドとショート台をそのまま移動するだけ。

先週、担当の先生から母の状況の説明を受けた。
何時もながら、母の状態を見ていれば察しはつくけれど、肺気腫の進行状況を
ドキドキしながら伺う。肺の水は浸潤してないだろうか・・・
レントゲン写真は既に、片肺は真っ白。もう片方も半分くらいは白くなっている。
水を抜けば楽になるが、膜が固まって抜きにくく体力的に負担がかかりショック状態になりうるので見合わせている。
酸素が足りなくて嫌がるのを何とか装着する。

先生のお話は、食欲がなくなり、栄養状態は著しく低下してアルブミン値が徐々に下がって通常の三分の一に。
足がパンパンに腫れている。
アルブミン製剤を投与するのに、副作用の可能性があるために同意書の提出を求められた。
現状回復のためには、止むを得ないのでサインする。

前回に続いて、何時変調きたして危篤になる可能性があるため、その状況の希望方針を聞かれた。
「無理な延命処置はせずに、苦しまないようにとお願いした。」
挿管や管で繋がれるのは酷いと思う。
「出来うれば、眠らせて意識を無くしていただきたい。」

終末期医療が取り上げられるが、医者の立場は、本人の苦しみにかかわらず原則的に
治療の一環である延命処置をする義務があり、家族も道理として本人の命を断ち切る決断はつきにくい。
結果、苦しみもがいてやっと死に到る状況を見聞きする。

意思表示ができる内に、医者・家族双方交えて終末期の方針を文書化して表明する必要ではないか。

薄皮を剥ぐように、私に心の準備をさせてくれる母。。。
眠るがごとくに旅立ててあげることが最後の親孝行ではと思う今日この頃・・・

一日をほとんどをまどろみながら、今日も、命を繋いでいる。

# by budouhaha | 2007-06-09 12:59
2007年 05月 04日
野球
b0029624_011531.jpg昨夕、母の介護室(4人部屋)では、お二人の方がテレビをつけて野球をご覧になっておられた。おばあちゃま方も、お若い頃は、きっとご主人とナイター観戦をされておられたんだろうな。。
それぞれのご家庭の様子が想像される。
ご主人が、晩酌しながら、子供たちは、お母さんとともに夕餉を囲む。
きっとそんな光景の日常だったのでしょう。
 野球観戦はその名残かな。。。♡♡ 

母は、相変わらず、ひとり言をつぶやいている。
今度、家族ミーティングがあったら、転院を勧められるかな。。 他所では、ここのような介護をしていただけるのか・・・?

# by budouhaha | 2007-05-04 00:14
2007年 04月 04日
≪ 家族ですから。。≫
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母のお隣のベッドにNさんが入所されていた。
ご挨拶をして、母を紹介したら、Nさんも、目と耳がご不自由で、聴力は生まれながらに
聞こえずに、視力は後年失われたと娘さんがお話された。
母娘か、お姑さんとお嫁さんかと思ったが、亡くなられたご主人様のお姉さまだと
伺ってビックリ!!
お聞きすれば、結婚後、ご主人の親兄弟と同居されているとの事。
義姉さんに義兄さんも同じ障害をお持ちだそう。。。
自分が亡き後のこのご兄弟を案じて亡くなられたお義母さまのお話を伺った。

しかしお嫁さんは、肉親のように、親身に、お義姉さまに接しておられるお姿に、
よくお世話をされますね!!とお話したらさりげなく、
≪ 家族ですから。。≫と言われた。

ご義兄姉は、障害があるためか人間的に純粋で清らかだそう。。
だから、仲良く一緒に暮らせたのかもしれません。と。。。
親身に、手文字でお義姉さんと会話をされていた。

早速、私もお義姉さんに、手文字でご挨拶をした。
Nさんは、喜ばれて私の手を握って下さった。
音も無く、見えない日常を美しく生活されている。

# by budouhaha | 2007-04-04 02:21
2007年 02月 19日
近況
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雨上がりから一夜明けて麗ららかな春の日差し。。♡ 
この美しい景色を母が見れたら・・・
五感の中でも視力・聴力が不自由なければどんなにか幸せだろうと思うけれど
これも、今は肉体的苦痛が少ないからで、他病を併発すればそれどころではなく、
五感満足で生活できることが何より勝る幸せだと母に思う。

熱めの玉露とブラックコーヒーが好きだった母、聴覚・嗅覚も衰えて、きわだった甘味の飲み物に「美味しい」と反応する。


「親孝行は生きてる間に・・」
生きてるって事は・・・
親孝行も。。。本人の意識があるうちに、もっともっとすれば良かったと後悔先に立たず・・

# by budouhaha | 2007-02-19 09:53
2007年 01月 30日
それでも生ある命…
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暮れまでは、片足だけ腫れていたが、今年に入って両足がパンパンに腫れている・・・
さすると ベコッと凹むが痛がってさすれない。。
相反して、とうとう母の二の腕は、「骨と皮」私の手の親指と人差し指を丸くして丁度になった。
母はほとんどまどろんでいる・・・
一週間ほど前には、熱が出て点滴で持ち直して今は小康状態に。。

# by budouhaha | 2007-01-30 04:01